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『ことし読む本いち押しガイド2004

 

構造改革の思想を探る20

コラム(800字)+20冊の書評(一冊280字)

メタローグ社2003.11. 180-185

橋本努

 

 

 

【コラム】構造改革の思想

 

小泉首相の再選を受けて、「構造改革」路線はいよいよ本格化するとの期待がある。だがその一方でエコノミストたちが指摘し始めているのは、「構造改革路線は結構、しかしそれは景気回復に結びつかない」という悲観的な認識だ。長引く不況の原因は、二〇-三〇年単位の大きな歴史的転換(グローバル化)と結びついている。システム全体が再編される中で、ある要因を所与と仮定して政策を実行しても、その要因が時と共に変化してしまえば効果は持続しないのである。九〇年代の財政政策・金融政策はどれも、効果のあがらない小手先だけの対処に終わったというのが真実ではないだろうか。ケインズ政策はやはり有効ではなかった――経済学者たちはようやくこのことに合意しはじめている。

では市場原理に任せればよいのかといえば、そうではない。問題は「政府介入か市場原理か」ではなく、政府介入と市場原理を組み合わせてシステム全体の効率をバージョンアップするという、きわめて経済学的なテーマにあるだろう。構造改革論者たちは、システムの中に「カオス」を作り出すことが、結果として新しいエンタープライズの精神を掻き立てるのだと主張する。つまり国際競争力を向上させるために、そのかぎりにおいてカオスの人工的導入が模索されているのである。この発想を「サバイバル奨励権力」と呼ぶならば、この権力に対比される立場は、「サバイバル回避型の『場の思想』」といったものだろう。私たちが慣れ親しんできた護送船団方式は、カオスを回避する集団利益追求型のシステムであった。しかしその短所を排して新たなシステム効率を追求するためには、いかなる思想が求められるのか。たんなるグローバル化への迎合ではなく、新たな日本的スタンダードの生成が期待される所以である。

 

 

 

1.

野口旭著『経済論戦 いまここにある危機の虚像と実像』日本評論社2003

 

はたして構造改革によって日本は不況を脱しうるのだろうか。著者によれば、構造改革論は経済危機の虚像に基づく政策論議であって、実体的問題はむしろ、需要側の不足にある。したがっていま必要なのは、デフレ・ギャップを解消するためのマクロ経済政策だという。現在の金利は十分に低くみえるが、デフレの影響を考えると実質金利は十分に高い。これを解消するためには、貨幣供給量を増やすことで、デフレそのものを阻止しなければならない。デフレ・スパイラルによる投資意欲の減少を克服することが先決であり、デフレが続けば経済の停滞とともに不良債権ばかりが増えていくと警告する。

 

 

 

2.

安藤晴彦/元橋一之著『日本経済 競争力の構想 スピード時代に挑むモジュール化戦略』日本経済新聞社2003

 

さまざまな評価項目によって算定される『世界競争力年鑑』によると、日本の競争力ランキングは93年に1位だったのが、2002年には30位にまで落ち込んでいるという。指標に問題があるにしても、これほど評価が下がるのはいったい何故なのか。グローバルな市場統合が進む中で、とりわけ政府と金融と人材に対する評価が下がっている。日本人の起業家精神に対する評価は49ヵ国中最低であり、経済の先行きが危ぶまれる。著者たちによれば、今求められるのはアメリカ型のベンチャー創業支援策であり、現場の強さよりも変化に対応する組織IQであるという。新たな日本スタイルを考えるための刺激的な一冊だ。

 

 

 

3.

生島淳著『スポーツルールはなぜ不公平か』新潮選書2003

 

日本の伝統的武道である柔道が世界のスポーツ「JUDO」に発展する過程で、日本人はそのルール規定に関するイニシアティヴをほとんど発揮できなかったという。他にも例えば、水泳やスキーでは、日本選手が優勝を果たすと、日本人に不利なルールへ変更されるという「日本いじめ」もある。なぜ日本人は憂き目に遭うのか。それは英語力とビジネスの力に因る、というのが著者の見解だ。ルールの変更はそのスポーツの商業的効果に大きく依存する。例えばバレーボールでは、その視聴率が日本において高いことから、日本チームに有利な方向にルールが改正されてきた。ルール変更はビジネスなのだ。

 

 

 

4.

池尾和人著『銀行はなぜ変われないのか 日本経済の隘路』中央公論新社2003

 

低迷を続ける日本経済の政策失調を読み解いた好著。銀行業をたんなる金貸しと捉える「後発国型銀行モデル」では、もはや日本経済を舵とることはできない。求められているのは銀行部門全体の縮小であり、資本市場の拡大による価格情報伝達の整備であり、さらに金融業界の組織文化を変革することであるという。インフレ目標政策を掲げて構造改革を批判する論者も多いが、しかし著者はその考えを退け、真のエコノミストに相応しい中期ビジョンを提示する。世界的なデフレ傾向とグローバル化に抗うのではなく、公共事業の領域転換と産業構造の調整によって、豊かな公共性と経済成長を両立させるべきだと訴える。

 

 

 

5.

松原隆一郎著『長期不況論 信頼の崩壊から再生へ』NHKブックス2003

 

現在私たちが直面しているのは「不安」心理に起因する長期不況であって、これをビッグバン方式の構造改革によって克服することはできないと指摘する。護送船団方式や終身雇用制などの日本的慣習は、なるほどこれまで不安を吸収する役割を担ってきたが、不安を吸収する新たな制度を築くことは難しい。本書前半では、構造改革案の全貌が鮮やかに検討されており、後半では著者独自の制度学派的思考が展開される。また具体的問題として、フリーターの急増、グローバル資本主義の席巻、流通の多角化などが論じられ、結論において著者は、自由社会が本来持ちうる「信頼」関係の自生的生成に期待を寄せている。

 

 

 

6.

水野和夫著『100年デフレ 21世紀はバブル多発型 物価下落の時代』日本経済新聞社2003

 

14-15世紀、17世紀、19世紀のデフレに続き、奇数の21世紀もまたデフレになると予測する。中国経済の動向や産業構造の転換などの具体的データに裏づけられての判断だ。昨今の不況とデフレは、日本の経済政策が間違っているから起きたのではなく、近代国家の機能不全と新たな帝国時代の幕開けという歴史的転換から生じているという。しかし日本はこの趨勢に気づかずに、バブル崩壊以降は世界一の借金を抱え、相変わらずケインジアン政策を信奉し、しかも研究開発費の増加が生産性の上昇に結びつかないという悲惨な事態にある。20世紀型の思考を脱却して現実を直視するための、豊富な素材がここにある。

 

 

 

7.

寺西重郎著『日本の経済システム』岩波書店2003

 

大胆な歴史仮説と周到な資料考査に基づいて、日本経済の歴史を鮮やかに描き出した快著である。1900年頃から1925年頃にかけて成立した「明治大正経済システム」が市場メカニズムと地方経済圏と企業の大株主支配に基づくものであるとすれば、1955年から1985年にかけて成立した「高度成長期経済システム」は、規制を中心とする政府介入、日本型企業組織、産業利害のコーポラティズム的調整によって特徴づけられる。だが、バブル経済以降のシステムは再び大きな歴史的転換期を迎えており、経済政策は全般的な失調を招いている。日本経済の行方を正しく展望するために、本書の歴史感覚から大いに学びたい。

 

 

 

8.

八代尚宏著『規制改革 「法と経済学」からの提言』有斐閣2003

 

「市場原理主義」や「自由放任主義」に基づくのではなく、むしろ、市場が提供する「選択の自由」を支援するための制度基盤づくりとして、規制改革を訴える。その理念は、パレート最適の「補償原理」、つまり他者への不利益を補償することで全体の利益を最大化するという集団利益主義だ。市場の失敗が生じるのは歪んだ市場原理の結果であり、法制度を整備すれば公正かつ生産的な社会を達成できるはずである。問題はそのルールをいかに発見するかにある。労働市場、福祉サービス、家族政策、住宅市場政策、教育政策、構造改革特区などの具体的問題が体系的に整理された明快なテキストである。

 

 

 

9.

奥平康弘/宮台真司著『憲法対論 転換期を生き抜く力』平凡社新書2002

 

憲法と社会のかかわりを活き活きと論じた快著。ワールドカップにみるナショナリズムと国粋、メディア・リテラシーと豊かさの中のNGO活動、フェミニズム憲法という問題提起、ポルノグラフィーの是非、「女帝」の可能性など、さまざまな社会問題が縦横無尽に論じられる。統治権力に何を期待し何を警告するかは、私たちの「社会認識」と「憲法意思」に依存する。憲法に何が書かれているかよりも、憲法に対する理念や意思を掲げることこそ、望ましい社会への変革を方向づけるという。本書はそうした視点から、法を「お役所的」に固守するよりも、法解釈論を闘わせるような逞しき市民を応援する。

 

 

 

10.

斉藤日出治著『空間批判と対抗社会 グローバル時代の歴史認識』現代企画室2003

 

グローバル資本主義に対抗する運動を鮮やかに提示した著者渾身の書。社会の矛盾に立ち向かうためのエネルギーを与えてくれる源泉だ。グローバル化とポストモダン化が近代社会の統合機能を掘り崩している現状を描きつつ、移民肯定型の多元主義と超国家的市民権の構想(情報アクセス権やエコロジー権)を展望する。求められるのは国家による資本主義の制御ではなく、地域や都市空間におけるコミュニケーションの再編であり、多元主義と平等主義を同時に実現可能にする空間の編成であるという。国民国家と主体の結合形態に代えて、普遍的人権とローカルなアイデンティティの同時獲得を展望している。

 

 

 

11.

アレクサンダー・ダントレーヴ著、石上良平訳『国家とは何か 政治理論序説』みすず書房1972年初版、2002年復刊

 

「善き国家とは何か」という問いに応じた共和主義思想の古典。諸々の国家論を「実力・権力・権威」という三つの側面から整理・検討し、それぞれの側面に対応して、政治的・社会的現実主義の国家認識、法理論上の国家論および哲学的認識に基づく権威正当化論の三つの立場が論じられる。実力を法に、恐怖を尊敬に、強制を同意に変形するのは国家である。その国家が正当な統治根拠をもつとすれば、それは、最高次の権威を「善き市民」の理念に基づいて擁護しうる場合だ、と著者は考える。権力の合法性を支えるのは市民の政治的義務意識であり、善き市民の証言を権威として意味づける社会を展望する。

 

 

 

12.

M・ブロック著、森本芳樹訳『西洋中世の自然経済と貨幣経済』2002年復刊、1982年発行

 

この小さな書物は、歴史学のスリルを存分に伝える名品だ。かつてヒルデブラントは西欧中世を「自然経済」と呼んだが、著者はその認識を根底から批判する。中世経済の流通においては頻繁に用いられていた胡麻は、民間の知恵として自生的に発展してきた貨幣媒体であり、同時に、当時の諸政体によって独占発行されていた金属貨幣に抗するものでもあった。まさに金属貨幣ではなく胡麻こそが、民間人が自由に発行できる「自由貨幣」であったのである。本書後半では、金貨造幣の停止が貨幣経済の衰退に導いたとする通説が覆される。実際は外国鋳貨の模造が頻繁に行なわれ、銀貨が域内流通を活発にしていたという。

 

 

 

13.

ベルティル・フリーデン著、鈴木信雄/八幡清文/佐藤有史訳『ルソーの経済哲学』日本経済評論社2003

 

ルソーといえば、自給自足を好んで市場交換を嫌う夢想家、という俗説がある。しかし『百科全書』の「政治経済論」を執筆したのは、他ならぬルソーであり、その内容は現代の厚生経済学が取り上げるテーマの先駆をなしている。例えば、自然や社会と共生しながら人格の完成を目指すという「善き生」の理想から貧富格差を批判するという視点、個人主義と利己主義に潜む「囚人のジレンマ」の発想、欲求の類似性に基づく社会統治といった考え方は、現代の厚生経済学が定式化するテーマそのものである。本書はルソーの人間性豊かな思想と現代の経済理論を結びつけた好著。経済学史研究の醍醐味を伝える。

 

 

 

14.

高城和義著『パーソンズとウェーバー』岩波書店2003

 

パーソンズのウェーバー解釈の変遷を、丹念に再構成した労作である。ウェーバーにおける実体的・歴史的契機を取り除いて機能主義的理論化(体系化)を図ったパーソンズは、晩年になって、ウェーバーの世界観とも対峙する。ウェーバーのいう「鉄の檻」とは、実はプロテスタントの自己認識であると解釈することができる。しかしパーソンズはそうした悲壮な信仰と世俗社会への悲観を排して、地上における「神の王国」建設という包摂的な市民宗教を展望する。悲観主義から楽観主義へ、そして闘争的秩序観から合議制アソシエーショニズムへと、パーソンズは西洋社会のもつ可能性を読みかえていくのである。

 

 

 

15.

アントニオ・ネグリ著、清水和巳/小倉利丸/大町慎浩/香内力訳『マルクスを超えるマルクス 「経済学批判要綱」研究』作品社2003

 

マルクスが『資本論』に至る過程に残した断片的草稿たる『要綱』。その可能性を丹念に探りつつ、共産主義の理想を読みかえるという野心作。科学主義や生産主義と結びついた既存の労働運動から脱却し、資本の指令に抗するオルタナティヴな生活を模索する。資本主義の廃棄という理想は、例えば、誰かの手段に仕えるような生活の破棄、自己の不完全性を補う他者性の肯定、多様性と差異の構築、物神性を克服する知の無限運動、などの理念によって、今なお肯定しうるという。共産主義とは労働者による計画経済ではなく、資本に抗する自己価値創造の実践であると主張する。巨大資本に抗う知性を磨くための一冊だ。

 

 

 

16.

尾関周二著『言語的コミュニケーションと労働の弁証法』増補改訂版、大月書店2002

 

労働を否定して「活動」や「コミュニケーション」を掲げるアーレントやハバーマスの政治哲学に抗して、本書は、マルクスの「労働」思想がもつ可能性を現代の文脈に蘇えらせた大著、増補決定版である。労働と言語的伝達は相互に補強する関係にあり、相互に媒介されることで、はじめて共同的な人間性を高めることができる。また環境問題への対処は、生産力の担い手たる労働主体を「自然力」として読みかえることで、調和的・循環的な社会-環境と人間の共生思想に至るという。このほか、言語論、情報社会論、認識論、文学、教育などのテーマをめぐって豊穣な議論が展開する。疎外の克服を考え抜いた体系書だ。

 

 

 

17.

ジェフリー・ホジソン著、西部忠監訳『進化と経済学 経済学に生命を取り戻す』東洋経済2003

 

進化経済学の領域を切り開いたバイブル。待望の翻訳である。マルクス、スペンサー、マーシャル、メンガー、ヴェブレン、シュンペーター、そしてハイエクの経済学説が検討され、近代科学を前提として発展してきた経済学の基礎が洗い直される。著者自身は制度学派の立場を明確にしており、その観点からハイエク的な方法論的個人主義を批判しつつ、代わって進化と制度に関するヴェブレン的な洞察を評価する。いずれにせよ本書によって、経済学史に埋もれた知見が現代に蘇えったと言えよう。今世紀の経済学は、本書を糧にすることから出発せねばならない。経済学の語彙を豊かに取り戻すための必読書だ。

 

 

 

18.

ミシェル・ド・モンテーニュ著、宮下志郎編訳『エセー抄』みすず書房2003

 

16世紀フランスの文人が自らの日記的省察を束ねた本書は、今日の私たちと極めて近い感情や思考を示している。その根底には、日常生活における「善き生」の理念と、「世俗的欲望」の享楽とを、同時に肯定してしまおうというヒューマニズムの視線がある。同時代のパスカルが近代的世界と信仰のあいだの葛藤を生きたとすれば、モンテーニュは、よどんだ時間が流れる近代の世俗世界をそのまま受け入れるような、オタク的書斎人であるだろう。悲しみ、名声、幸福、年齢、書物などのテーマに関する味わい深い文章に、その新訳が光る。どこから読み出しても止まらなくなる不思議な本。近代の幕開けを象徴する書物である。

 

 

19.

立川武蔵著『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』講談社学術文庫2003

 

古代インドから近代日本に至るまで、仏教理論の基礎にある「空」の思想。その概念史を分かりやすく解説した好著である。神や自己を含めて、すべての対象が実在しないとする否定の作業から得られるものは何か。元来「空」の理念は、世俗への執着を捨てる「現世拒否の卓越的救済倫理」を志向した。それが日本に至るや、今度は「色即是空」すなわち世俗的現象(=色)をそのまま「聖」なるものとして肯定するという、「現世内的自己救済倫理」へと変貌する。いわば、散る桜の無常な美しさの中に、「生の肯定」を見出すのである。迷いは悟りであり、絶えざる自己否定が生の原動力を生むという。

 

 

 

20.

清水博著『場の思想』東京大学出版会2003

 

著書『生命と場所』(NTT出版)で知られる生命哲学者清水博の近著は、一般向けに書かれた人生論であると同時に、日本社会の危機克服を謳う時事論。日本仏教の思想資源たる「場の思想」によって近代科学文明を超えるという大きな企てをもって、「人生劇場」「舞台づくり」「箱庭的構築」「即興劇モデル」などの豊かなアイディアが展開される。まさに発想のパトスに満ちた書だ。その基本にある考え方は、「互いに異なる者同士が場を共有することによって生みだされる創造」というもの。生命の局在と遍在(絶対無)の二重性の中で、コミュニティ的生命を再生する道が随所に示される。グローバル化に抗する一つの橋頭堡。